
はじめに
不動産賃貸借契約において、契約期間中に賃料を改定する「継続賃料」の評価は、新規賃料の評価とは異なる複雑な法的・実務的論点を孕んでいます。
特に近年は、物価変動や社会情勢の変化に伴い、賃料改定を巡る紛争が増加傾向にあります。
本記事では、2025年11月に開催された九州・沖縄不動産鑑定士協会連合会研修会資料を参考に、継続賃料の判断枠組み、そして評価の出発点にして最大の争点となる直近合意時点の認定について、豊富な裁判例を交えて解説します。
1. 継続賃料の判断枠組みと法的根拠
継続賃料の議論の根幹は、借地借家法第11条第1項(地代)および第32条第1項(家賃)に定められた「賃料増減請求権」にあります。
(1)賃料増減請求権の法的性質
賃料増減請求権は、法律上形成権としての性質を持ちます。
これは、相手方の承諾がなくても、一方的な意思表示が到達した時点で賃料改定の効果が生じることを意味します(ただし、具体的金額の確定には協議や判決を要します)。
また、この規定は強行法規であるため、特約によって排除することはできません。具体的には、「賃料を増額しない(不増額)」という特約は有効ですが、「賃料を減額しない(不減額)」という特約は無効と解されています。
したがって、賃料増減請求権が行使されると、それまで当事者間で合意されていた賃料が、客観的に「相当な額」へと一方的に改定されることになります。
(2)鑑定評価における継続賃料の定義
不動産鑑定評価基準において、継続賃料は以下のように定義されています。
「継続賃料の鑑定評価額は、現行賃料を前提として、契約当事者間で現行賃料を合意しそれを適用した時点(以下直近合意時点という。)以降において、公租公課、土地及び建物価格、近隣地域若しくは同一需給圏内の類似地域等における賃料又は同一需給圏内の代替競争不動産の賃料の変動等のほか、賃貸借等の契約の経緯、賃料改定の経緯及び契約内容を総合的に勘案し、契約当事者間の公平に留意の上決定するものである。」
この定義から、評価プロセスは「直近合意時点の確定」を始点とし、事情変更(経済事情の変動)と諸般の事情(契約の個別性)を考慮して進められることが分かります。
2. 最重要論点:「直近合意時点」の判定基準
継続賃料の評価において、最も重要な出発点が「直近合意時点」です。この時点がいつになるかによって、考慮すべき地価変動や物価変動の期間が決まり、評価額に多大な影響を与えるため、訴訟でも頻繁に争点となります。
(1)基本原則:現実の合意
最高裁判決(平成20年2月29日)や実務指針によれば、直近合意時点とは、契約書上の日付にかかわらず、当事者が現実に賃料額を合意した時点を指します。以下、実務上判断が分かれやすいケースについて、裁判例を基に解説します。
(2)ケーススタディ:裁判例による認定基準
【ケース1:自動改定特約がある場合】
契約書に「3年毎に10%増額する」といった特約があり、それに従って賃料が改定されてきた場合、その改定時は直近合意時点になるのでしょうか。
- 最高裁平成20年2月29日判決
- 事案:レジャー施設等の地代について、3年毎に自動的に増額改定される特約があった。借主が減額請求をした際、直近合意時点が争われた。
- 判断:直近合意時点とは認められない(当初契約時が合意時点となる)。
- 理由:自動増額特約によって増額された賃料は、契約締結時における将来予測に基づくものであり、増額改定時の経済情勢下で当事者が「これが相当な賃料だ」と現実に合意したものではないから。
ただし、自動改定特約があっても、改定ごとに当事者が協議を経て決定していた実態があれば、その時点が直近合意時点となり得ます(東京地決令和2年10月29日)。
【ケース2:法定更新の場合】
借地借家法に基づき契約が法定更新(黙示の更新)された場合です。
- 東京地決令和2年1月29日判決
- 事案:飲食店の賃貸借で法定更新されたケース。
- 判断:直近合意時点ではない。
- 理由:法定更新は、通常、更新後の賃料について具体的な協議を行うことなく成立するものであるため、当事者が契約条件について現実に合意をしたとは認められない。
一方で、例外的な判断も存在します。
- 東京地判平成28年9月9日判決
- 事案:専門学校の賃貸借で、法定更新が長期間繰り返されていた。
- 判断:最終の更新時点を直近合意時点と認定。
- 理由:法定更新であっても、契約の更新に当たって「従前の賃料額を改定する必要はない」という意思を当事者双方が有していることが事実上推認される。これを認めないと、事情変更を考慮すべき期間が不当に長くなり(数十年前まで遡るなど)、取引の安全を害する。
【ケース3:賃料据置きの合意更新(書面あり)】
契約更新時に「賃料据置き」の合意書を交わした場合の判断です。
- 東京地判平成31年2月28日判決
- 事案:飲食店の更新において、協議の上で賃料を従前同額とし、更新契約書を作成した。
- 判断:直近合意時点である。
- 理由:協議の上で更新契約書を作成したのであるから、賃料額を合意したとみるべきことは明らかであり、金額が変わっていないからといって合意がなかったとは言えない。
- 東京地判平成29年12月11日判決
- 事案:住居の更新時、貸主からの増額提案を借主が拒否し、交渉決裂のまま従前賃料で更新された。
- 判断:直近合意時点ではない。
- 理由:増額の必要性や金額について実質的な協議をして合意に達した事実はなく、単に貸主の提案が拒否されたに過ぎないため。
【ケース4:一時減額の合意】
コロナ禍や経営不振などで、一時的に賃料を減額した場合です。
- 東京地判平成29年2月10日判決
- 事案:シネコンの賃料について、「1年間に限り減額する」旨の合意がなされた。
- 判断:直近合意時点ではない(減額前の賃料を合意した時点に戻る)。
- 理由:一時減額の合意は、期間経過後は当初の賃料に戻る内容であり、将来にわたって賃料を改定する合意ではないため。
- 東京地決令和4年9月15日判決
- 事案:飲食店において、コロナ禍を理由に数ヶ月間賃料を減額合意した。
- 判断:直近合意時点ではない。
- 理由:賃料を一時的に減免する合意をしたに過ぎず、将来に向かって賃料を据え置く旨の合意をしたとは認められない。
【ケース5:判決による改定】
過去に賃料増減額請求訴訟があり、判決で賃料が決まった場合です。
- 東京地判平成25年2月8日判決
- 判断:前訴判決で改定時とされた時点(前回の価格時点)が直近合意時点となる。
- 理由:判決は当事者の事情を公平に反映して賃料を決定したものであり、実質的に当事者の合意と同視できるため。
なお、請求が棄却された(賃料が変わらなかった)判決の場合は、相当賃料が示されたわけではないため、直近合意時点とはなりません。
3. 「事情変更」と「諸般の事情」
直近合意時点が確定した後、その時点から価格時点(現在)までの間に生じた要因を分析します。これには「事情変更に係る要因」と「諸般の事情に係る要因」の2種類があります。
(1)事情変更に係る要因(経済的要因)
物価変動、所得水準の変動、地価や建築費の推移、公租公課の変動などが該当します。これらは客観的な数値として把握可能です。
ここで問題となるのが、借主の経営状況(売上高の減少など)です。
- 東京地決令和3年3月31日判決
- 事案:パチンコ店の売上減少を理由とした地代減額請求。
- 判断:減額を認めず。
- 理由:借主の売上の増減が、直ちに賃料の増減事由となるとは考えられない。契約書に「7年経過後は経営不振を理由に解約できる」条項がある以上、契約継続を前提に賃料のみを減額することは公平に反する。また、売上減少は市場の縮小傾向に沿うもので、借主のリスクである。
(2)諸般の事情に係る要因(個別的事情)
経済変動以外の、当事者間固有の事情です。
例えば、親族間やグループ企業間での恩恵的な契約関係(相場より安く貸す)や、「協力金・敷金の多寡」、「建物建築への協力」などが挙げられます。
これらが解消された場合(例:親族関係の解消、株式譲渡による他人資本化)、事情変更として賃料改定の根拠となります。
(第1回 まとめ)
継続賃料の評価においては、まず「いつ現実に合意したか(直近合意時点)」の認定が全ての土台となります。
契約書の更新日付を形式的に採用するのではなく、交渉の経緯や合意の実質(実質的な協議があったか、一時的な措置ではなかったか)を慎重に見極める必要があります。
次回は、これらの要素を数値化するための「4つの鑑定評価手法」について、具体的な計算式と裁判例を交えて解説します。
以上です。お読みいただき、ありがとうございました。
地代・家賃の鑑定相談室
不動産鑑定士(第10401号)
上銘 隆佑
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